歌は言葉と記憶の代替えとでもいいましょうか

2024.11.6

新宿ピカデリーで映画を観るのは何年ぶりだっただろう。

先日、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」不思議な作品だった。アーサー(ジョーカ)がガガが演じるリーと出逢ってから、前作と気配が随分違うことに最初戸惑った。

アーサーとリーの会話のみ歌になる事が悲哀と美しさ、孤独感の最良の表現方法だと感動した。それからというもの、アーサーとリーの孤独と悲しみを事あるごとに考えてしまうようになってしまった。なぜ、こんなに考えてしまうか、ちょっと客観的になろうと思う。

注)以下ネタバレがあります。

言葉について考える。言葉では伝えられない。言葉では埋められない。言葉でない方法で自分をわかってもらう手段として歌を歌える者は歌い、楽器ができる者は奏で、絵が得意な者は描き、文章で伝えられる者は書く。映画、写真もそうだ。スキルを持ち表現する場を持つ者が、言葉では伝えられない者たちの代弁者となっていくのだろうと思う。

代弁者にもなれず、そうしたいけれど、できない人たちは沢山いて、私もその一人だし、アーサーとリーもその一人だ。あの二人はダークサイドに落ちてしまったけど歌と歌う事でお互いを認めあっていった。お互いが唯一無二の存在だった。そして、ラストシーンでは心が離れてしまったリーだけは歌う。

アーサーはリーに自分の言葉で気持ちを伝えようとする。リーにも同じ様に求め、リーに歌う事を止めるように促すが、リーは歌う事を止めない。分かり合えていた二人が、お互いの気持ちの距離ががどんどんと離れ変わって行く様がとても辛いシーンだった。

二人はまた孤独の壺に入って行くのだ。手に入れたはずの愛とアイデンティティはまた離れて行ってしまった。また独りになってしまった。

二人にとって歌は愛とアイデンティティの代替えだったのかもしれない。

歌は不思議な力があるでしょう?曲を聴くと一瞬にして思考がその時代、あの日に帰って、その時の風景、人、感情まで思い出したりしてね。だからかもしれない。今回、セリフが歌だった。それもオリジナルではなくて、既存の昔から歌われてた楽曲だったから、私の頭と感情が強く繋がってしまったのかもしれない。

サントラを聴く。そのシーンを思い出すだけではなくて、その時の自分の感情が蘇ってきて、スクリーンに写し出された風景のフィルムが巻き戻されて再生される感覚になる。胸がキュッってなる。ま、今どき映画もフィルムで撮らなくなってしまったけれど。

そういえば、今日お昼のラジオでミッシェルガンエレファントの曲が流れてきた。あの日と同じ番組で同じ時間帯だった。チバの声だ。あの日は突然ラジオから、世界の終わりが流れてチバが亡くなった事を悟った。車に戻ってスマホをみたらやはり速報が流れていた。悔しくて、悲しくて車の中で泣いた。寒い日だった。今日その気持ちが蘇って辛かった。一年も経つのに。。。

そうかもうすぐ命日だ。

歌の力ってそういう事なんだね。言葉と記憶の代替え。

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葉を陽の光に透かす森

葉を太陽に透かした時見える葉脈のような。気付いたり、気が付かれたり。