お店が暫くお休みになります

2025.8.24

父の事を書く事を迷ったが、ここは公共の場ではあるけれど私的な場所でもあるので記録として記憶として書いてもいいだろう。

父は来月83歳になり、間質性肺炎を患って7,8年経つ。平均寿命が5年というから父はたいしたものだ。風邪はひかせられない。けど、そんなのは無理な話しで父は2年前はインフルエンザにもコロナにも罹患している。この時は奇跡的に回復して自宅に帰ってこれた。

今年はなんでもない風邪で肺炎になった。正月三が日明けの夕方4時頃、救急車を嫌がる父を(毎回のことだが)、主治医がいる救急に連絡を入れ、歩けなくなっていた父を自分の車になんとか乗せ、まだ、足のギプスが取れない母を自宅に残して救急に連れて行った。救急の現場は恐ろしいほど混んでいて、なかなか順番が回ってこない。だいぶイライラとした。車椅子に乗っている父はとても辛そうだった。

診察した頃には案の定、サチュレーションもかなり低く、即入院となる。手続きを済ませてストレッチャーに乗せられた父と病棟に上がる。窓の外は既に夜。時計をみたら夜の10時を過ぎていた。父は私に帰り方はわかるか?(夜の院内は迷路になる)とか、駐車場のお金はあるかとか、私の心配ばかりする。「また一緒に帰ってあげられなくてごめんな」と言われて泣きそうになった。50もとっくに過ぎた娘をまだまだ子供扱いをする父親。私はなんとか笑いながら「早く良くなって一緒に帰ろう」とだけ返した。張り詰めていたものが、緩みそうになってグッと堪えた。

そして、今回は父の入院は長くなるだろうと覚悟をした。

それからは、低空飛行。酸素5リットルから始まり3リットルへ減ったものの、なかなか改善せず医師から自宅酸素という告知を受ける。そのためには、母以外の家族の助けが必要で、私も弟も遠方で暮らしている旨を伝える。医師は自宅へ返す事に難色を隠さない。当たり前だ。慢性期の転院を勧められたが私はなんとか父を自宅に返したかった。療養型に入ってしまったらおそらく父は家には帰ることはない。

そして悩んで、悩んで、考えて考えて決断した。

私は静岡に帰る。

家探しを始めようと意気込んでいたのは、今年1月の半ばだった。父の入院から10日ほど経っていた。意気込んだその日に、実家から歩いても1,2分の高台に見晴らしの良い平屋の空き家を見つけた。父もその場所が気に入っていたし、借りれないかとその日に連絡したら家の中をすぐに見せていただいた。バリアフリーで庭も広く抜け感もあり、なんともいえない気持ち良さがある。ここなら父も母も喜ぶだろうと、即決。ここは田舎なので中古物件は都心に比べたら、だいぶ安い。無理だろうけどとりあえず、住宅ローンを出してみるか。賃貸と支払いはあまり変わらないしと。だめなら賃貸で。と思っていたが、3日目にあっさりと住宅ローンが通ったと連絡がきた。

父に報告した。「よく頑張ったな」と喜んでくれた。私はこれで、父を自宅に帰すことができる。

2月10日、自宅酸素にはなってしまったけど無事に退院となった。自宅酸素の生活にはなかなか慣れなかったけど、家にいられる父は幸せそうだった。まだ、本契約前だったけど父が家を見たいというので、歩けば1,2分の場所だけど酸素を付けた父には無理で、車で行き父にお披露目をした。明るく、広く、バリアフリーの家を父は羨ましいがって「こっちに住むかな」と、冗談なのか本気なのか。とても気に入ったようで、庭にはあの樹を植えたらいいとか、ここにテーブルをおこうとか、近所への挨拶回りのこととか自分の家のように楽しそうだった。

そして、この日が我が家に来て最初で最後の日となる。

父は3月3日、再入院となった。今回は心臓へのダメージもある。医師から療養型に転院で考えるように強く言われる。私自身も自宅ではもう看れないなと悟っていた。悲しかった。虚しかった。仕方がないと思いながら父に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

父の転院先を探すことと、家のなかなかのめんどうな手続きが同時進行していくこととなる。中々の多忙ぶりだった。毎日、何かにサインをしていた。

父の転院先は難航した。妥協すればいいのだけど父の余生がかかっている。静岡に帰るたび毎日のように病院見学をして、検証、検討していたから随分と時間がかっかてしまい、入院中の病院からは再々催促されたけど、私は気にしなかった。探し始めてやっとここだという病院を決め。決めたら転院は早かった。父は落胆した。家に帰りたかったのにまた病院かと。そこの療養型病院は一人一人に合わせたリハビリをやってくれる。父には家に帰るリハビリの為に転院するんだよと嘘をついた。

父はもう家には帰れない。

今年4月16日晴れ。父、転院となる。

転院先は環境も良く、ご飯も美味しい、リハビリもしてくれるとまーまー満足はしてくれていた。リハビリを頑張れば家に帰れると信じて父の気持ちに張りがでたようだった。

家の手続きも順調でリフォームがある程度終わった段階で引っ越しすることした。その頃から平日は静岡、週末は店に立つ事となって静岡と東京を行ったり来たり。平日の店番は娘達に任せることに。娘達がいてくれて本当に助かった。

家の契約の時、売主さんとなんとなく雑談をする。売主さんの既に亡くなっているお父さんと、なんと父は同じ名前だった。漢字も一緒。春雄だった。偶然とはいえ不思議な縁を感じた。

6月23日。引っ越し完了。

8月12日。父の容態が悪くなる。面会時に夜電話が行くかもしれませんとのことが、増える。低空飛行のまま。日に日に傾眠傾向も強くなる。今日かもしれない。明日かもしれない。と思いながらの毎日。朝日が昇るとホッとする。でも今日かもしれないと思う日が続いている。

私はけっしていい娘ではない。ずっと反抗期が続いているような娘に父は父として変わらない愛情で接してくれる。今も。私にはもう父には何もしてあげられない。最後の親孝行として、毎日顔を見に行き手を握り、背中をさすることしかできない。

近々その日が来るのは辛いし怖い。今は後悔しないように少しでも側にいたい。

なので、暫くお店がお休みになります。ごめんなさい。みなさんの温かいご理解がありますように。再開の際はまたお知らせいたします。

来月16日は父の83歳の誕生日だ。この日父はどこにいるのだろう。どこにいてもお祝いをする。

追記: 2025年8月26日 15時21分

     父 春雄 永眠

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葉を陽の光に透かす森

葉を太陽に透かした時見える葉脈のような。気付いたり、気が付かれたり。