昨日はオトトハルの9周年だった。営業が終了した夜に気がついた。すっかり忘れていたのは初めてのことだ。一年を思い返すと、つくづくほんとうにいろいろな事があった。静岡へ引っ越し、父が他界し、静岡の山間で複合店舗を始めた。ここに書く必要も書けない事もたくさんあって、なんというか気が休まらないとでも言えばいいのか、とにかく時間が足りない一年ではあった。もちろん楽しい事も嬉しい事も含めて。
嬉しいといえば、先日オトトハルに南流石ねーさんが突然来てくれた。(南流石って誰という人はウキペディアへ)私は10代の頃「じゃがたら」というバンドから人格形成の一部と言っても過言でないほど影響を受けて、江戸アケミという人物の言葉を咀嚼し、じゃがたらが奏でるリズムに救われ、南ねーさんたちからは元気を貰っていた。私が18,19歳、アケミが亡くなる前の2年間だけ数回しかライブには行けなかったけど、アケミが亡くなった後の喪失感は今だに埋まらない。
4月が終わりに近づく土曜日の夜、写真家でじゃがたらを撮り続けていた松原研二さんの写真展に行った。ご本人もいらしゃって松原さんとじゃがたらの話し、アケミの話しをする。初めてお話しするのに昔からの知り合いかのようにお話ししてくださるから、私は懐かしい人たちと、昔話しをしている錯覚になってしまった。行けて良かった、行って良かったと、行くことを後押して同行してくれた娘に感謝して渋谷の雑踏を懐かしみながら帰路についた。その数日後、南ねーさんは現れたのだ。アケミグッズをたくさん持って。
とにかくびっくりした。こういう時に出てくる言葉は貧相でウソ、ウソ、なんでなんでを繰り返す。南ねーさんも私とまるで普通にじゃがたらとアケミの話しをする。で、時々我に返り、まじまじ南ねーさんの顔を見てホンモノだーってなる。あまりにも、南ねーさんが優しくて、フレンドリーで楽しくて懐かしくて可愛いくてかっこよくって、嬉しくて嬉しくて。南ねーさんが帰った後は普通に寂しくなった。友達と別れて一人になったときみたいに。見送った背中をずっと見ていた自分に寂しくなった。松原さんといい、南ねーさんといいアケミはこんなにも優しい人たちに囲まれていたのかと思った。良かったねアケミよ。
自分のじゃがたらの時間が動いて上書きされた。上書きされると前に進める事を実感する。
つながった世界だね。
「もしも君が過去をたずねうらやんでみても、もしも君が過去をたずねなつかしがってみても、あの頃はまたあの頃で色々あったもんさ、君は毎日どろんこで帰ったものさ、お母さんは嬉しいやら困ったやら、すぎ去った日々は皆それぞれ美しいけど、今が最高だと言えるようになろうぜ、今が最高だと言えるようになろうぜ
もしも君が未来を見つめため息ついても、もしも君が未来を見つめ悲しみにくれても、その時はその時でどうにかなるものさ、やがて現れる荒廃したテクノポリスよ、きみはその残骸を手にとりキスをする、そして恋人と共に夜明けをむかえる、だから今が最高だところがっていこうぜ、今が最高だところがっていこうぜ
果てしない空よこの願い聞いておくれ、そびえ立つビル達よ一体何を物語る、土深く眠るものよ息をふきかえす頃」作詞:江戸アケミ
ちなみに10代のころから南流石さんのことを南ねーさんと呼び、アケミはアケミと呼び捨てだった。のでそこは失礼かと思いながらもこれからも変えずで。



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